's Journey
20代で人生が大きく変わってしまった時、私は無意識に「苦痛からの逃避」(忙しくする、お菓子を食べまくる、テレビを見続ける、眠りに落ちるまでお酒を飲むなど)を選んでいました。
でもそれは何の助けにもならなかった。
苦痛、迷い、混乱、不安から抜け出せぬままでした。
その後人生の紆余曲折を経て、51歳で夫を亡くしました。それまでの生き方と決別するため、頼る人ない他州へ引越して、新しいキャリアを開拓しました。それは不安に満ちた大転換期でしたが「苦痛からの逃避」とはまったく違うアプローチを取ることで、喜びや安らぎ、愛情に満ちた新しい人生を創造することができました。
以下は私がどのように50代の転換期を乗り越えたか、というお話です。
マインドフルに乗り越えた転換期
私と息子を乗せたチャーターボートが、メキシコ湾を滑って行く。沖から数マイル離れたところで舟は止まった。骨壷を開けて、夫の遺灰を海に撒く。遺灰が海水へ、永遠へと消えていく時、それまでの自分も共に消え去ってしまった。
大の親友であり、息子の父親であり、庇護者であり、一番の支援者であり、ソウルメイトだった夫。過去20年、私の人生のあらゆる場面に、あの人がいた。彼の魂が大自然へと還っていくのを涙の向こうで見送りながら、私は底のない悲しみと、自分自身の喪失を強く感じていた。
翌日、ルネッサンス様式の建物とヨーロッパ絵画、美しいバラ園で知られる美術館を訪れた。以前この街で一番好きだった場所。美しいものに囲まれてそのエネルギーを受け取ることで、深く負った傷を癒したかった。でも触れたのは美や生きるエネルギーではなく、私について離れない夫の影—名画の上、薔薇の花弁、どこにでも潜んでいる夫の面影だった。色とりどりの薔薇の前で、はしゃぎながら写真を撮る観光客たち。そこから離れたベンチにポツンと一人座りながら、私は自分と彼女たちの間にあるどうしようもなく深い溝を見ていた。周囲の笑い声や喜びを断絶する溝。この世界に存在しながら参加していない、という異次元にいるような感覚。
キャリア、家など、私がそれまで大切にしてきたものはすべて魅力を失い、古い自分とともに死んでしまった。崩れ去った廃墟から新しい人生が現れる兆しはない。どこに住めばいいのか、どんなキャリアを追求すればいいのか、残りの人生をどう過ごせばいいのか、私にはまったくわからなかった。ただひとつ明らかだったのは、しばらく遠いところで暮らさなければならい、ということだ。夫が亡くなった家では、自分を癒すことも、人生を立て直すこともできなかったから。
私は自宅を3カ月間貸して、その間アジアで過ごすことにした。これまで学んできたヨガとアーユルヴェーダへの理解をインドで深め、スリランカと故郷日本の聖地を巡礼する旅。
「いい計画だね、サリ」と友人は言った。
「悲しみを感じる時間がないほど、忙しくするといいよ。それがつらい時期を乗り越える一番の方法だから」
それは違う、と心の中で呟く。「苦痛からの逃避」は役に立たない。20年間マインドフルネスを実践してきたおかげで、自分の痛みを避けるのではなく完全に認めてあげることが、人生で最も困難な転換期を乗り越える唯一の方法だとわかっていた。
瞬間に湧き上がる感情や思考を認めてそれらを手放す、というマインドフルネスのアプローチに導かれて進んでいくのだ。
それから3ヵ月後、私はインドの活気ある通りを歩いていた。悲しみはどこまでも追いかけてくる......店で見かけたガネーシャの木彫りは夫からのプレゼントを、カレーの匂いは私たちが好きだったインド料理店を思い出させた。ガタガタと走るバスの中にも、孔雀が飛び交う村にも、夫の姿があった。
私は毎日の日課をこなすことに専念した。日の出の散歩と朝食前の瞑想、午前中のヨガクラス、午後にはアーユルヴェーダの勉強、夕暮れの散歩、夕食後は息子や友人へメール、寝る前の日記。
毎晩ベッドの中で、異国でまた1日終えた事を祝った。悲しみに押しつぶされそうになると、私は座って目を閉じた。深呼吸をして、痛みから逃げるのではなく、痛みへ心を開いていく。嗚咽しながら、感情が高まり、力強く膨張し、ピークに達し、やがて消えていくのを眺める。それは辛い過程だったけれど、実践すればするほど、激しい感情と向き合うことに慣れていった。
睡蓮でいっぱいの池、沈んでいく杏色の太陽、完璧な円形に体を丸めて眠る犬たち、ヒンズー寺院で一緒に写真を撮った女性たちのはしゃぎ声、道に迷った私のためにタクシーを捕まえて料金を前払いしてくれた男性......何気ない日常にある美しさが、私を一日の終わりへと導いてくれた。大切な友人や息子からは、愛とサポートに満ちたメールが毎日のように届いた。豊かな自然や人々の優しさに支えられながら、私は夫と昔の自分を失った喪失感を悼んだ。
スリランカでは、悲しみがまだ私の上に深い影を落としていた。それでも仏教寺院を歩く時、わずかな時間ながら穏やかな気持ちになれた。仏像に蓮を捧げる白服に身を包んだ参拝者たちの姿が、心を癒してくれた。お線香の香りに落ち着き、守られている、と感じた。
翌日訪れる聖地について学ぶのが、楽しみになった。ポーズを取って自撮りしてみる。行き交う子供たちの笑い声に、つられて微笑んだ。ある時、次の日を待ち遠しく思っている自分に気づいた。喜びはまだ掴みどころがなかったけれど、平穏が訪れることが多くなった。
暗い谷間に光が差し込むのが見えた。
「おかえりなさい。」成田国際空港の入国審査官が、私の差し出すアメリカ旅券にスタンプを押しながら言った。
日本は両手を広げて私を迎え入れてくれた。いにしえの都の静けさと優美さに浸る。訪れるすべての寺、神社、庭園が、癒しのエネルギーと美の魔法で私を包んでくれる。故郷の温もり。
ある早朝、私はひっそりとした寂光院を独り歩いていた。寂光院は、12世紀に皇后から尼となった建礼門院が、最後の日々を孤独に過ごした尼寺として知られている。彼女の一族は皆、大きな海戦で命を落とした。建礼門院は一家を追って自害しようとしたが、助けられて京都に連れ戻された。当時の風習に従い尼となって、病に倒れた家族の冥福を祈りつつ、余生を過ごした。
本堂に向かう途中、美しい蛇が道を横切るのを見た。
それは私の夫だった。
優しさ、思いやり、愛、そして感謝の温かい気持ちが湧き上がってくる。それは金色の光となって私の心を急速に満たし、その壁を和らげ、溶かしていく。今、光の波は心から溢れ出そうだ。
どうしよう?
「分けてあげなさい」心の奥底から声がした。
誰と?
返事はなかったけれど、それでもよかった。私は自分が今、新しい道を歩み出した事に気づいたから。
誰と分かち合うのか?
その答えを見つけるためには、もうしばらくの時間が必要だった。
人々が困難を乗り越えて成長し、花開くことを助けるのが、私の生きがいです。
My Committments
Equal Opportunity
所得水準、ジェンダー、人種、経歴などにかかわらず、誰もがライフコーチングを受ける權利があると、私は信じています。経済的な問題を抱える人には、支払い方法について相談に乗ります。また自分のウェブサイトやニュースレター、noteで無料の情報を提供する他、市自治体と提携してそこから報酬を得ることで、参加費無料のクラスを教えています。
Confidentiality
クライアントとの良い信頼関係を築くことは、私にとってとても大切です。コーチングの過程でクライアントがシェアするいかなる情報も厳守します。
Giving Back
私は自分の人生の辛い転換期に受けた支援に、とても感謝しています。その恩返しをするために、Women for Women International、The International Rescue Committeeなど、難民や貧困問題に立ち向かう非営利団体をサポートしています。
Walk the Talk
私も転換期にいます! マインドフルネスやボディ・ハート・マインド探求プログラムなど、自分がクライアントと分かち合っているツールを実際活用して、自分の人生に役立てています。またパートナーと共同運営している米国テキサス州のリトリートハウスで、自らサイレントリトリートを行っています。自分が進化し続けることで、私のコーチングもより効果的になっていきます。